八千枚護摩行者は最近多くなりました。
私が始めた13年前には、あまり聞きませんでしたが、ここ最近はちらほら聞くようになりました。
私の場合は、毎日護摩供を修法しており、そのテストと思って八千枚護摩を一年に一度修しております。
逆に言うならば、八千枚護摩供が高いレベルでできるように、毎日護摩供を修しておるといっても過言ではありません。
以前にも話しましたが、かの剣豪「宮本武蔵」が
『千日をもって鍛とし
万日をもって錬とす』
と言葉を残しております。
これは、鍛錬の元となった言葉でして、
千日と言えば、約3年です。
万日と言えば、約30年。
何かを極めるには、本当に30年は必要だとつくづく感じております。
石の上にも三年とも言いますが、
この3年を1スパン、1クールと考えるとそれなりに見える景色が違ってきたのが分かります。
最初の3年は、三日坊主という言葉あるように、3年も続けることができません。
石は冷たいので、途中で石から降りる人が多い。
それは、そもそも、これを極めるということを見つけられていないからだと思います。
そして、3年やったら簡単に極められるとも、思っているからでしょう。
それでもと、3年続けていると、今度は続けられたことの技に磨きをかけます。
冷たい石をさらに座り心地のいいものへと磨いていく感覚です。
そして次の3年は、その技を自分のモノとすることになります。
いわば、石と一体になることを目指します。
ここまでで、9年
約10年かかります。
ここで初めて、その物事の入り口に立てたと思えてきます。
そこからは磨いた技をようやく、活かせるようになってきます。
さらなる工夫と研鑽の時期ともいえるでしょう。
本当の意味での応用ができるのも、この時期からだと思ってます。
これで、12年という月日を一つの事と向き合ってきたことになります。
そして、そのことが楽しくなっていくのも、ここからだと思ってます。
私の護摩修行は、14年目に入りました。
ですので、15年 石の上にも三年をまだ、五回繰り返してはいませんので、これ以上の事はまだわかりません。
来年になれば違った世界が見えているのかもしれませんが、15年という月日を振り返った時にこそ、見えてくるものですので、その時を楽しみに日々精進したいと思います。