今朝の蓮花寺の睡蓮
睡蓮と蓮は種類が違いますが、同じ蓮の字が付くので蓮花寺にふさわしいと思って育てております。
蓮も昔、育てたことがあるのですが、咲かせるにはうちでは日光が足りないらしく、葉は出てくれますが、花を咲かせたのはオリンピックレベルで四年に一度だったので諦めました。
その代わり、睡蓮は毎年あまり世話をしなくても咲いてくれます。
もうかなり昔ですが、家内と新婚旅行にタイに行きました。
訪れたタイの寺院でも睡蓮を育てていて、同じ種類だったのでなんか親近感がわいたのを今の時期になると思い出します。
蓮華の5徳というのがあり、仏教では蓮をとても大事にします。
1 淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
2 一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
3 花果同時の徳(かかどうじのとく)
4 一花多果の徳(いっかたかのとく)
5 中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)
ここで今回注目したいのは、
1の淤泥不染です。
蓮だけは泥の所で花を咲かせます。
咲かせた花が、泥に染まっていないことが蓮を大事にする所以です。
アジサイは、土壌によって色を変えるので、環境や周りの誘惑に左右される印象を受けます。
しかし、蓮は、どんな汚い状況であっても、決して自分を見失わず、自分のするべきことをする。
そのような心持ちであると、どんな過酷な状況でも自分の養分として、蓮のように美しい花を咲かせることができると、蓮の生きざまを感じ取ったのです。
蓮はどこかほかの花と比べても、凛とした誇り高さの中に包み込むような優しさを感じじますし、暑い時に咲くのですが清々しさをもあります。
そういった蓮から感じた事を弘法大師は、
「蓮を観じて自浄を知り菓を見て心徳を覚る」
と見事な文にまとめております。
世の中、物価高騰や面白くない事件などの話も多く聞きます。
しかし、こんな時こそ蓮を見習い、環境に左右されず、様々な経験を肥やしとして、自分だけの花を咲かせることをしてみてはいかかでしょうか。