うちで咲いている、ササユリ 朝からいい匂いがします。
以前、ベストセラーの本で「おかれた場所で咲きなさい」というのがありました。
大変売れたようで、知り合いも絶賛しておりました。
今だご縁が無く読めていないのですが、タイトルぐらいは知ってます。
今朝のササユリを見ていて、また、うちの金魚を見て、最近そのタイトルを思います。
うちには小さい子どもさんも、お加持に来てくれます。
その時、好きなおもちゃを持ってきて、好き放題遊んでいるのをみて、環境に文句を言わない子だと思い関心しました。
自分のを拝んでくれると、親に言われてきてるでしょうが、45分知らない家でいるのは苦痛でしょうね。
苦痛であるからこそ、文句をいう子は、ここ嫌だ、遊びに行きたいって言います。
これは、子どもに限らず大人もそうです。
お加持の時間だけに限らず、人に対して、環境に対して、自分が受け入れられない物、すべてに常に不平不満を言っている。
現状を受け止めれないというのは、心が病んでいる証拠なのかと思います。
鬱の人のお加持をしていて特に思いました。
自分が受け入れられない物にたいして、文句だけを言って、自分を正当化しようとしたり、文句を言って相手を変えようとします。
なぜ、この話の流れの中で
「おかれた場所で咲きなさい」と思ったのか。
ペットは人間の都合で、連れてこられます。
花も同じで、自分ではここで咲きたいと選ぶことはできません。
でも、花や、ペットなどは現状に不平不満を言いません。
おかれた場所で精一杯自分の命を全うしようとします。
ここに花の美しさがあります。
花は無言ですが、力強いメッセージをくれています。
「現状を最大限に活かして、自分の人生をまっとうするんだ」
言葉になっていないですが、そう語っているようにも聞こえます。
他のも感受性の豊かな方は、違った声がきこえるのでしょうね。
女性は園芸が好みの方多いですよね。
女性は、嫁いできます。
中には婿養子をもらう方もおられますが、大方は嫁いできます。
昔などは親の言いなりで、相手を親が選んだということは多かったです。
いわば、女性も置かれた環境で、咲くこととなったのです。
そんな時、心を落ち着かせるようにお花を育てて、自分と見合わしたのかもしれません。
旦那や、姑さんに数々の文句もお持ちでしょうが、それをあまり出さず、現状を受け入れて、自分もその家の可憐な花になる。
また、育てている花から知らず知らずのうちに、そういったパワーをもらっていたのでしょう、そして花との対話を楽しんでいたのでしょう。
そうやって、心を整えていたのでしょうね。
お仏壇にお花をお供えするのは、花の美しさからでてる無言のメッセージを受け取り、心を整えるためでもあります。